ITってぶっちゃけ

IT業界は3Kだった

ミスのない完璧な仕事

自民党の新総裁と閣僚が決まりました。個人的には今回の総裁選はとても楽しく見ていました。各候補が「日本をこうしたい」という想いをぶつけ合って、見ていてとてもワクワクしました。同時に政治って複雑で難しいなと改めて思いました。ITシステムの開発が複雑で困難で、一般の人たちが思うようには簡単には行かないのと同じだと思いました。

 

ただし、今回の党役員人事には実は少し懸念を抱いています。選ばれた人の中に、過去の不正疑惑など、突っ込まれる要素を抱えている人がいるからです。新体制のメンバーがどんなに良い政策を行ってもそれはほとんど評価されず、野党やマスコミによる個人攻撃が際限なく繰り返される場面が容易に想像できます。その結果、建設的な政策論議を行うための時間が無くなり、日本の政治が停滞してしまうことが心配です。

 

システムの開発をやっていると、「設計書の誤字脱字は許さない」とか「プログラムのバグなんて言語道断」という考えの人に多く出会います。どんなに素晴らしい機能を持ったシステムでもです。もちろんバグなどの誤りは良くないことですが、100%誤字やバグを無くすのと90%の正しさで良しとするのとの間には倍半分くらいの労力の差があります。問題の本質は10%の誤りの中身が致命的な悪影響を及ぼすものなのかどうか、または誤りの無い90%の中身がどれほど有益かだと思います。

 

例えば、設計書の文章の「てにをは」は間違っているが設計の意図に影響を及ぼさないような場合はシステムの最終的な能力に影響を及ぼしませんし、画面のレイアウトが微妙に設計書と異なっていてもシステムの本来の機能が有益ならばコストをかけてレイアウトを整形する費用対効果は低いと思います。にもかかわらず、心情的または機械的にこの10%の誤りをなんとかしようという方針のもとに作業を進めることが、日本のシステム開発の生産性を大きく低下させている要因になっていると思います。

 

これは日本人のもともとの気質、つまり減点法的な思考に依るところが大きいのかなと思います。実際、私も設計書のレビューやプログラムのテストに携わることがありますが、誤字脱字やささいなバグを見つけるとなんとなく嬉しくなって上から目線で指摘して仕事した感に満足してしまうことがあります。ああ自分も日本人なんだなぁと思うのですが、子供の頃から繰り返し「お行儀良く」とか「人に迷惑をかけるな」などと間違いを正す躾けを受けてきたことを思うと、減点法的な思考はもはや自分の原点になってしまっており、簡単には変えられない部分なのかなとも思います。

 

自民党の役員や閣僚の人事の話に戻すと、野党やマスコミが与党のあら探しに時間を費やすことは、与党に一定の緊張感をもたらすことは確かですが、これを際限なく繰り返すことは国の生産性を低下させることになると思います。また、このような状況を見てうんざりする日本人は一定数いるとは思いますが、減点法的思考を持つ多くの日本人は政策の良い面よりもミスや欠点のほうに無意識に比重を置いて見てしまうのです。つまり、野党やマスコミは正しいマーケティングに基づいて自らの利益のためにそれを取り上げているので、簡単には改善することは難しいでしょう。

 

ここまで書いて改めて自分の中に結論が無いことに気づきましたが、日本人の気質(つまり野党やマスコミから見た顧客ニーズ)が変われば、もしかしたら良い方向に向かうかもしれません。あるいはこれは、日本人が次のステップに進化するために必要なハードルなのかなとも思います。

 

先日、うちの一番下の子供と話しをた時に「俺は人のアラ探しをする人がきらい」と言っていて「おやっ?」と思いました。また、最近のSNSでは承認欲求を満たしたい若者を大勢見かけます。なので、もしかしたら私が年甲斐もなく青臭い義憤に駆られる必要などはなくて、若い人を中心に、実は既に日本の次の進化は始まっているのかもしれない!と思ったりもしています。

f:id:ara_shadow:20211003231019p:plain